新緑の鶴ヶ城

2005.6.6




新緑というには季節が進んでしまいましたが、初夏でもないので、
とりあえず「新緑」というタイトルを付けました。
陽射しが眩しいです。二の丸より廊下橋をのぞむ。






今日は久しぶりに天守閣に登ってみます。






鶴ヶ城は、時々展示替えがあるので楽しいです。







最上階の展望スペースより。
うーん、陽射しが眩しいです。

ここにいらっしゃるボランティアガイドのおじいさんは、とても詳しく色々と教えてくれるので楽しいです。
※ガイドはローテーションのようなので、いつもこのおじいさんが居るとは限らないかもしれません。






西側の帯郭をのぞむ。

木々は、まだ新緑っぽい雰囲気の色ですね。








磐梯山もよく見えます。








手前より
走長屋、鉄門、南走長屋、乾米櫓。








稲荷神社も緑に包まれています。
あ、変な土産物のテントが無くなっていて、景観が良くなっています。

良いことです。







中央に写っている善龍寺の門は、竜宮城の門のようです。
会津藩家老西郷頼母と、戊辰戦争で一家自刃した西郷一族22名が眠っています。
その他の方々も多数眠っておられます。。







ズームを使って、茶室「麟閣」です。
千利休の息子・千小庵ゆかりの茶室です。






 

「会津を訪れるひとは 日々の流儀に泣かされ
その心にふれて涙し 去りがたい想いが頬をつたう」

会津デスティネーションキャンペーンのポスターです。
天守閣の出口、走長屋にある土産物屋の手前の壁に貼ってありました。
数種類あるうちの二枚です。

田島町の祇園祭と、どこかの六地蔵の写真ですね。

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JR六社との提携によるデスティネーションキャンペーンで会津が活気付くのはいいことです。

でも、キャンペーンガイドブックに載っていた「松平家御廟をガイドつきで巡る」ってのには大反対ですけどね。
「武家屋敷と松平家墓所セット・大人1100円」って何?
御廟が「単なる観光施設(武家屋敷)」と同格扱いですか?

会津が頑張るのは良い事ですが、なんでもかんでも見境無く利用するのはいけません。
御廟は墓であって、公園でも観光施設でもありません。

あー、いやだ。

御廟が市の管理化に置かれるようになってから、
やたらめったら様々な広告に利用されている事自体が嫌です。

まさか将来的には有料化して、小銭を稼ごうとかセコイ事を考えているんじゃないでしょうね。
武家屋敷を経営していたガス会社も潰れましたし、きっと武家屋敷も市が買い取り、市の管理化に置かれるのでしょう。
そして武家屋敷と御廟のセット券とか?恐ろしい・・・。

そんな事なら、そもそも、御廟の整備に税金を使わないでいただきたいです。

神聖な御廟が「観光客誘致」の名のもとに穢れていくくらいなら、
人知れず草ぼうぼうの方が良かったですよ。

碑石や亀趺坐の傷みも進むに決まっています。

観光に来た子供は、きっと亀趺坐に登るだろうなあ。
登ったら失礼に当たる表石や、ご遺体が埋まっている鎮石の所にまで登るだろうなあ。
変な供え物をしてそれが腐って、碑石が汚れたりするだろうなあ。


参考:2005年12月の「変な供え物」の一部。
9代藩主・容保公の表石です。食べ物が少ないだけ、まだマシな方です。
この時は、ご遺体が埋まっている鎮石の上にまで、妙な物が色々乗っていて驚愕しました。
容保公の墓所だけは歴代藩主と異なる構造をしているので、通常の参拝ルートでも表石に近づくことができるのですが、これはいただけない・・・。門の扉、どうして開け放してあるのでしょうか。お蔭で酷い有様です。扉は閉めておくべきです。


巨大な一枚岩で出来ている亀趺坐や碑石、表石、鎮石が壊れたり傷んだりしたら、今の市の財政では直せませんよね。
当時の会津藩23万石の、最高の技術と材料で作られている物なのですから。

プラス、歴史的価値も考えれば、そっくり同じ物を作れたとしても単なるレプリカに過ぎません。

そして、御廟に眠る歴代藩主だって、墓所が観光施設扱いされる事を
嫌がっておられるに違いありません。

たとえば、墓が観光施設だというなら、大塚山墓地が観光施設になりますか?
そして、もしそれを聞いたら遺族や関係者は怒るでしょう。
同じ事ですよ。
松平容保公のように、たった100年前に亡くなった方も眠っている
現役の「墓」なのですよ、あそこは。
その証拠に、毎年慰霊祭も行なわれているではありませんか。

白虎隊墓所のように、観光客が押し寄せる俗地になり果てるのではないかと危惧しています。
参拝したい人がひっそりお参りする程度でいいのですよ、御廟は。

文字通り、廟(墓)なのですから。


・・・百歩譲って、どうしても観光に利用したいならば、最低限「入ってはいけない場所」を分かり易く掲示するなり、バリヤーを張るなりすべきです。




この写真に写っている階段は、ご遺体が埋まっている鎮石がある処まで続いており、
ここをを登る事は、礼を欠く行為です。
会津松平家13代目ご当主の保定様もそうおっしゃっておいででした。
それでも、知らない人は登ってしまいますから、注意書きを置き、バリヤーを張るべきです。


  

御廟の亀趺坐。今までは訪れる人も少なかったですが、
今後はどう荒れて、傷んでいくのでしょうか・・・。
ここがこれだけ綺麗に残っているのは、人がほとんど訪れなかったからだと思うのですよ。






せめて、この写真の土津神社のようにバリヤーを張るべきです。
周辺の遺構は傷むかもしれませんが、亀趺坐が観光客増員に伴って傷んでいくくらいならやむを得ません。


何度も言いますが、御廟は「藩主の御霊を神式で祀っている所」ですから、
するべき事は「参拝」のみです。

「観光する所」ではありません。

七日町の阿弥陀寺といい、どうして死者に対して無礼なのでしょうか。

小学生が遠足で御廟を訪れ、弁当を食う事さえ無礼な行為ですよ。
普通に考えてください。例えば、自分の家の墓で弁当を広げて、
ハイキング気分でアハハウフフと弁当を食べている人を見たら、どう思いますか?

松平家の方々も、ご先祖が眠る御廟(墓所)でそれをされたら悲しむでしょうね。







閑話休題。
会津デスティネーションキャンペーンについてはこちら。
このキャンペーンについては、折に触れてご紹介していこうと思っています。






同じく会津デスティネーションキャンペーンのポスター。
「なぎなたスポーツ少年団」の皆様でしょうか?
会津秋まつりの写真かな?







新宮熊野神社長床ですね。








絵ろうそく祭りですね。







鉄門の上より天守閣をのぞむ。
右に見えているのは走長屋です。
青空と新緑が爽やかです。







南走長屋では「野口英世展」が開催されていました。
県民なら知っていて当然の基礎知識が、パネルになって展示されていました。

で、このパネルが面白かったのです。
「母 家を守る」
「父 酒びたり」

英世の父は、きちんと働いて、その金で飲んでいたのです。
家に金を入れなかっただけです(笑)

飲むと明るく陽気になるタイプで、人に嫌われるような感じではなかったそうですよ。








鉄砲で狙撃する為の穴です。
石垣と緑が綺麗です。








南走長屋の内部より、鶴ヶ城本丸方面をのぞむ。









今通ってきた南走長屋を振り返ってみました。
写っていませんが、右側には小部屋が沢山あります。








冬の間は走長屋に収納されていた赤べこも、雪が消えたので、外のお勤めです。

白虎隊演舞の時間だったのでそれを見て、外に出ました。
「演舞」「剣舞」は、字面は似ていますが、まったく異なる物です。お間違いなきよう。


「剣舞」は亡き白虎隊士の霊に奉げる為にのみ、舞われるものです。
舞うのは会津高校の男子生徒のみです。
観光客向けに舞ったりすることは、絶対に許されません。

それに対し、「演舞」は観光客に見せてもかまいませんし、女性が舞ってもかまいません。
個人的にも、特別な思い入れは全くありません。










本丸を出て、帯郭を東に進みます。








二の丸を出て、三の丸へ。



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ここからは別の日です。





日が暮れかけています。
廊下橋より南側をのぞむ。








桜の枝と、夕日を浴びる天守閣。








ここも、4月末には桜が満開でしたが
今はすっかり緑です。







別角度から。







夕日を浴びる走長屋。







麟閣では冷たい抹茶が始まったようです。








ウスラカスラしていたら、日が落ちてきました。

※通常「ウスラカスラ」は自分に対して使いません。
「どこウスラカスラしてんだべ、まったく!」というように、相手に対して使います。
私も幼い時に、母によくこう言われたものです(笑)

「ウスラカスラ」は会津弁で「フラフラ出歩く」という意味です。
ニュアンスとしては良くありません。







落日。


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